◆ 小児眼科のおいたちと現状 (浅川 学) --------------
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小児眼科のおいたちと現状
浅川 学
小児眼科外来は、1992年に河合佳江先生が国立小児病院での研修を終えて、弱視・斜視外来として立ち上げました。当時、小生は入局間もない研修医であり、眼科の知識など全く持ち合わせておりませんでしたので、諸先輩方に、様々な愚問をしつつ失笑を買ったものです。しかし、こと弱視・斜視に関しては、河合先生以外には質問に対する明確な返答を与えて下さる先輩がいない状況でした。当時、河合先生は毎週火曜日の午後に専門外来を設けており、外来終了後に研修医を集めて視能訓練士(ORT)を交えての勉強会を開き、時には宿題を課すなどして、熱心に指導して頂いたものです。小生は、そんな機会に接するにつれ、眼科領域においてこれは基本なのではないかと考える様になり、1年生の分際にも拘わらず、生意気にも国立小児病院で研修を受けたいと、大胆な発言を致しました。
2年間の大学での研修期間を終えた小生は、幸いにも希望が受け入れられ、1994年6月〜1996年3月の約2年間、国立小児病院に出向して、東範行先生の下で研修を受ける機会を得ました。流石に小児病院というだけあって、詳細は割愛致しますが、一般の病院ではお目にかかれないような、多くの珍しい症例を経験する事ができました。出向した当初は斜視に関する知識が身に付けばいいや程度に考えていた身にとっては、望外の展開であり、非常に希有な経験を積める時間でした。1995年の秋頃に外来医長の先生から翌年の希望を打診された際には、正直に申しますと大学への帰室は本意ではありませんでした。しかし当時、大学で弱視・斜視外来を担当されていた先輩先生方の開業あるいは出向が決まりつつある状況が小生の我が儘を許す筈もなく、1996年4月に帰室となりました。
目論見では、先輩の下での外来を期待しておりましたが、帰室早々から、ほぼ独りで弱視・斜視外来を任されました。弱視・斜視の分野ですから、対象は小児が多いのは勿論ですが、成人でも斜視はあり、大学に帰室してからは当然、当外来で担当することとなります。一言に斜視と言っても、小児例と成人例では根本的に取り扱いが異なる点が多いために、小児病院で研修した知識のみでは対応しきれる筈もありません。さらに、小児とあらば疾患分野を問わずに、カルテが振り分けられる有様で、当時まだ臨床医5年目の小生にとっては、非常に心細い日々でありました。しかし、外来日が平形明人助教授と一緒であり、辛抱強く指導して頂きながら何とか症例をこなしつつ継続可能であったのは、幸運の一言に尽きると思っております。
こうして、弱視・斜視のみならず、小児の眼科疾患を広く対象として活動する機会が与えられ、いつの間にか小児眼科外来と呼称が変わったように記憶しております。専門外来日は当初は火曜日の午後でしたが、1997年度から金曜日の午後に移動して現在に至っています。小生が担当して以来、来年度で8年目に突入することになりますが、この間にも国立小児病院、現国立成育医療センターには複数の後輩達が、約2年単位で出向を継続している訳ですが、何故か帰室しない、あるいは辞める等、なかなか人材が確保できずに、網膜硝子体班の巨大勢力を横目に見つつ、途中は苦難の日々を過ごしてまいりました。しかし1999年度には東京女子医大から宮本裕子先生が入局、2002年度には成育医療センターから川瀬英理子先生が帰室しました。これに加えて現在は7名のORTが在籍して、徐々に充実してきております。最近では専攻医や研修医の中にも、小児眼科領域に興味を示してくれる先生が見られるようになってきていて、続けていて良かったと実感しています。
現在、当アイセンターでは、網膜硝子体を筆頭として、白内障、ぶどう膜・黄斑疾患、緑内障、角膜、眼窩、神経眼科といった専門外来がそれぞれ活動しております。これらの様々な疾患の中で、小児例では必要に応じて連携を取りつつ診療を行う体制が構築されています。各専門外来で治療を行った上で、小児期では切り離す事ができない屈折矯正を含めた弱視治療を加えて、初期治療のみでは補えない、後々のQOLを向上させる役割を担っていると考えています。未熟児網膜症における全網膜剥離例や、先天異常で特殊な管理を要する例などの難症例は、成育医療センターとの連携もあり、依頼する事はありますが、対処可能な例には極力尽力するように努めております。
現代は小子化の時代とは言え、それだけに親から子に託す期待が大きくなってきている傾向があります。しかし小児の診療や検査は、時間も手間もかかり、現状ではこれを得意とする眼科医が必ずしも十分に供給されているとは言い切れないと思われます。当外来は小規模、非力な故に、理想的な診療を全うできているとは言えませんが、幸いにして昨今は近隣の諸開業先生方より御紹介頂ける機会も増えてきておりますので、これに甘える事なく、将来がある小児に対する責任を認識しつつ、努力を続けて発展させられればと考えています。
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2002年4月から杏林アイセンターに帰室し、小児眼科外来を浅川先生、宮本先生と共に担当しております。それまでは、国立小児病院(現国立成育医療センター)に3年間勤務し、小児眼科臨床と遺伝研究室で基礎研究を少々やらせて頂いておりました。
当院における小児眼科の活動は、火曜日午後に未熟児の眼底検査、水曜日午前に手術、金曜日午後に完全予約制で小児眼科専門外来を行っています。未熟児の眼底管理は週に1回のこともあれば、重症例では週に2から3回診察しています。今回の年末年始にかけても重症例が頻発し、正月休み返上でレーザー治療にあたっておりました。手術は、主に斜視や先天性眼瞼下垂、睫毛内反症に対して行っています。小児眼科外来終了後には、小児眼科班とORT、研修医など参加希望者でカンファレンスを行い症例検討しています。これらの日常業務の合間に、学会発表や論文報告、原稿執筆などを行っております。
小児眼科班は3名で担当しており、マンパワーの絶対的不足を痛感しています。ただでさえ、小児の診療は診察も説明も成人の倍の時間がかかります。小児は非協力的で、主訴を自ら述べることはなく、自分自身も子供の目線にたってあやしつつ診察しなければ、いつまでたっても診察は終了しません。このように悪戦苦闘しつつも、網膜芽細胞腫のような致命的な疾患も存在することをいつも念頭において診察しています。以前、鼻涙管閉塞で受診した乳児をたまたま眼底検査したところ網膜芽細胞腫が発見されたことがあり、それ以来眼底疾患の疑いがなくても必ず散瞳しての眼底検査を勧めるようにしています。
未熟児の管理も責任重大で、治療時期を逃せばその子供の一生を左右する障害を残すことになります。周産期医療の発達に伴い、以前は救命されなかった極低出生体重児も救われるようになった反面で、重症未熟児網膜症の発生率が増加しています。未熟児網膜症の診察やレーザー治療の技術を修得するには訓練が必要ですが、接する機会が少ない為に当院においても適切な管理が行える眼科医は少数名に限られているのが現状です。このように責任も重く労働量も多い小児眼科ですが、その分、やりがいもあります。自分が治療した子供たちが成長し、予想以上の回復力を示した時はうれしいものです。今後、是非同じ道を志す仲間が増えてくれることを望んでおります。
〈EYE CENTER OPEN CONFERENCE〉 国内外の先生にインフォーマルな場で臨床、研究テーマについて講演していただくシリーズです。アイセンター外の先生方も是非ご参加ください。
場所:
外来棟の10階第2会議室
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2月12日(水) 「眼科と関係する形成術」
6:30pm〜
高見 佳宏先生(杏林大学医学部形成外科助教授)
・ 3月13日(木) 「ANCA 関連疾患」
8:00〜8:50am
有村 義宏先生(杏林大学医学部第1内科助教授)
〈第39回東京多摩地区眼科集談会〉(眼科専門医認定事業)
3月8日(土)14:00〜17:00
場所:大学院講堂
教育講演 「診療に渋滞をきたさないための神経眼科」
若倉雅登先生(井上眼科病院)
Eye Center Photo
Gallery
12月7日(土)センチュリーハイアット東京で忘年会が行われました。医局員、看護士、OB、開業医の先生方、関連業者の方々等160人が参加され、盛大に行われました。
小児眼科学は網膜硝子体や白内障のように派手さがありません。この為、専門志向者が少ないのは悩みです。実は筆者のかつてのボスが小児眼科学の権威者の頃は、斜視弱視の展望まで書かされましたし、自分自身、先天異常に興味を持っていました。杏林大学に赴任した当初は筆者も未熟児の眼底を診ました。筆者の外来にプリズムテストから子供のスキアまで予約で回されるのに驚いた記憶があります。現在の小児眼科スタッフは、なかなか熱心で期待しています。来年はもう一人、東先生の所での研修を終えて、野田君が帰室するでしょう。ますますの充実を期待しています。〈 T.H. 〉