◆ 緑内障外来 (吉野 啓)             -------------- <1・2>
◆ メディカルジプシーについて (気賀沢 一輝)    -------------- <3>
◆ ポスナー・シュロスマン症候群を考える(吉野 啓)  -------------- <4>
◆ 外来予定表                      -------------- <4>
◆ アイセンターイベント情報              -------------- <4>
◆ 編集部より                    -------------- <4>

緑内障外来
吉野 啓

 緑内障外来の立ち上げは他の専門外来と比べると比較的早い時期ではあったが、その起源はあまり明確ではない。初代チーフの石綿丈嗣先生に聞いても「いつだろうねぇ。何となく出来ていたって感じだったよね。」との事なので、その何となくを私の記憶で追ってみたい。私が入局した1986年(昭和61年)当時はまだ影も形もなかった。その頃はまだ静的視野計もなく、視能訓練士(ORT)もおらず、動的視野は主として研修医の仕事であった。当然視野検査の精度は極めて低く診断能力も現在と比較するとかなり劣っていた。手術も術後すぐに眼圧が上がってしまう、逆に過剰濾過で眼圧0、前房消失が続いたりという事も少なくなく、当時の研修医にとって緑内障は網膜剥離と並んで不人気疾患のひとつであった。同年、樋田哲夫助教授(当時)の赴任により網膜剥離の復位率は飛躍的に向上し、網膜剥離は不人気疾患から脱していったが緑内障は相変わらす不人気のままであった。網膜硝子体疾患が増えると、当然ながら増えるのが血管新生緑内障(NVG)であり、網膜硝子体疾患と緑内障は切っても切れない関係にあることを当時の私はまだあまりよく認識していなかった。
 1987年になりオリンピアクリニック東北沢病院(当時)に非常勤医として勤務していた石綿先生が緑内障診療のノウハウを学び、大学の自分の外来に緑内障患者を集め始めたのが当緑内障外来の前身であった。御存知の通り緑内障自体は決して少ない疾患ではなく、集め出すと患者さんは瞬く間に増え始めた。その年の後半頃から緑内障手術件数が増加し始め、徐々に専門外来らしくなってきた。当時研修2年目後半を迎えていた私も石綿外来のお手伝いを始め、緑内障入院患者の大半の病棟担当、手術助手を務める様になっていた。何となく「緑内障外来」を名乗り始めたのは、おそらく1988年春頃からだと思われる。ちゃんとした指導医もないまま何となく立ち上がった緑内障外来ではあったが、患者さんは着実に増え続けた。ある程度の数の患者さんをまとめて診るというのはやはり医師にとってはその診断能力を高め、治療経験を積む最高の機会であった。
 1990年春に私が出向から帰室し本格的に2人体制となり、手術治療は主として私が担当するようになった。網膜硝子体部門の充実に伴い重症の増殖糖尿病網膜症によるNVGが徐々に増加し、血みどろの闘いが始まるのであった。1993年に石綿先生の退職により私が2代目のチーフとなったが、オリンピアクリニックで研修を受けた朝蔭博司先生、飯島建之先生、東京警察病院で研修を受けた山口靖子先生らが帰室後、緑内障を担当し人員的にもかなり充実したものとなってきた。一時隆盛を誇っていた緑内障外来であったが、その後朝蔭、飯島両先生の開業、更に山口先生の産休で一気に人員不足に陥っていった。かく言う私も2001年3月に退職しているが、非常勤として毎週水曜日の緑内障外来と手術は継続して担当している。2001年4月より岡田丈先生が常勤医として加わったものの、木曜日の緑内障外来は週替わりで石綿、朝蔭、飯島先生らOBの力を頼って運営していた。2002年4月からは山口先生も木曜日の緑内障外来に復帰。2003年5月より稲見達也先生が加わり現在の体制となっている。
 当緑内障外来のモットーは「適切な診断・適切な治療」である。当たり前と言えば当たり前のことではあるが、緑内障は意外と曖昧な部分も多くこれが案外難しい。診断に関しては、やはりこれだけ正常眼圧緑内障が多いと、どこまでを緑内障として扱うべきかその境界に悩むことが多い。これは診断技術、能力の進歩ともに徐々に解決されることを願っている。治療に関しては最近は非常に優れた薬剤が増えてきたが、これも目的と組み合わせを誤ると効果が半減してしまう。緑内障の薬は何にでも同等に効くわけではない。緑内障のタイプにより使う薬剤は違ってくる。また、手術にしても何でもMMC併用トラベクレクトミーでいいとは思っていない。レクトミーのみでなく、トラベクロトミー、GSL(隅角癒着解離術)などを病型、病状、患者背景などをよく検討して術式を選択するようにしている。MMCレクトミーの普及は眼圧下降を容易にしたが、引き替えに結膜の健常性を損ない長期にわたる過剰濾過や感染症など術後のリスクはむしろ増大した。我々は本当に必要なもの以外はなるべくMMCは使わないようにしている。手間はかかるが健常な結膜を温存し、かつ眼圧下降を実現すべく日々努力している。その結果、当科における緑内障手術の術後感染症は、把握している限りでは最近10年間で2件(うち1件はアトピー性皮膚炎の症例)と極めて少なく、房水漏出などで困っている症例もほとんどいない。
 緑内障手術件数の最近5年間の推移は図1の通りである。2001年は私が転出した年で少々減っているがその翌年は例年並に戻っている。本年は昨年を上回る勢いで手術件数が増加している。
 今後も臨床第一、患者さんの為になる医療を提供していくことを第一に考えているが、更に後進の育成、教育活動、研究活動なども徐々に充実、発展させていきたいと考えている。

図1 最近5年間の緑内障手術件数の推移

 

来年の第27回日本眼科手術学会総会は樋田教授が会長となり、
東京フォーラムで、2004年1月30日から2月1日に開催されます。
多くの先生方のご参加をお願い申し上げます。
 <1><2>


神経眼科外来からの話題
メディカルジプシーについて
気賀沢 一輝

 私は神経眼科の手ほどきを藤野貞先生から受けました。先生はずっと非常勤で様々な施設に神経眼科外来を設け、その普及に努め、現在に至っておられます。先生の口癖に、私はメディカルジプシー(医療流民)ですから真似したらいけませんよ、というものがありました。当時は何気なく聞き流しておりましたが、今、自分を見つめてみればまぎれもないメディカルジプシーになっています。藤野先生は眼科、解剖学、脳外科と放浪され、私は眼科、病理学、生化学、精神科と放浪しています。現在私はとある精神病院で患者としてではなく、非常勤医師として働いています。なぜ精神病院に迷入したのか。それは、患者としてのメディカルジプシーが気になるからです。
 先日杏林大学で多摩地区集談会が開催され、井上眼科病院の若倉雅登先生が、「診察渋滞をきたさないための神経眼科」というタイトルで講演されました。その際話題になった渋滞原因疾患に身体表現性障害(Somatoform Disorders)というものがあります。これを簡単に説明すると、自覚症状と他覚所見の解離があり、日常生活が著しく障害されている病態(米国精神医学会診断基準DSM-「)となります。痛い、眩しい、見え方がおかしいなどと訴え、検査上は異常無いので、気のせいだと流されたり、頭がちょっとおかしいということで精神科に回されたりします。ここで注目すべきは、他科に依頼してもほとんどすべての患者が満足せず、他の病院を受診して同じことを繰り返し、メディカルジプシーになっていくということです。若倉先生と意見が一致したのは、このような患者群にもっと科学の光を当てる必要がある、そのために神経眼科学の中に精神眼科学という新たな専門分野を設けるべきである、という点でした。
 「検査上異常がないので異常なし」と診断されて行き場を失っている患者さんは増加の一途をたどっているようです。これは社会の変化のスピードに医学の方法論がついていっていない部分現象、とも考えられます。そこの所をもう少し何とかならないかと思って精神病院で勉強しているというわけです。ジプシーの気持ちはジプシーが一番良くわかるかもしれませんからね。
 神経眼科外来は実に多様な疾患を扱う現場です。今後も、渡辺敏樹先生とともに細く長くやっていきたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。

<3>


緑内障のTopics
ポスナー・シュロスマン症候群(PSS)を考える
吉野 啓

 最近、続発緑内障の手術例が多く見られます。慢性の虹彩炎に合併したものがほとんどで、かなり末期になってから紹介される例も少なくありません。その様な症例を見ているとポスナー・シュロスマン症候群(疑いを含む)と診断されている例が非常に多いという事に気が付きます。PSSってそんなに多いですか?少なくとも私は典型的なPSS例というのはそんなに多く見たことはありません。当院の救急外来でもPSSと診断される症例は結構ありますが、その中で本当にPSSと思われるのは大体2割位です。実際はフックス虹彩異色性虹彩毛様体炎をはじめとする慢性虹彩炎に合併する緑内障がほとんどです。当院への紹介例でもやはり同様で、実は慢性型の原発閉塞隅角緑内障だったという例もあります。しかも前述の様に、視神経乳頭所見も視野もかなり悪化しているものも多いのです。典型的なPSSは原則的に視野障害を来たすことはありません。なのに何故?確かにPSSと他の虹彩炎による続発緑内障は発作時所見だけを比較すると良く似ています。フックスだって日本人では虹彩異色なんてほとんど分かりません(但し、良ーく見れば虹彩の性状の違いは明らか)。最初はどれも薬物治療に良く反応するし、確かに分かりにくいかも知れません。しかしそれだけでしょうか?PSSは悪くならない。そう診断する事で患者さんも安心できるし、それ以上に医者も安心したいのではないでしょうか?PSSの診断が付いている患者さんを見ていると、どうも医者側のそんな心理が感じられてしまいます。そして、その安心から医者も患者も油断しがちになるのではないでしょうか。それが結果として病状の悪化につながっている。そんな例が少なくない様に思います。PSSは除外診断で他に疑わしいものが否定されて初めて付けられる病名だと思います。特に注意すべきは寛解期の所見です。PSSは寛解期には全く虹彩炎所見がないというのが一番の鑑別ポイントです。寛解期にもわずかながら角膜裏面沈着物がある、前房中の細胞が少し残る、眼圧が不安定であるなどの所見がある場合、まずPSSは否定的と考えて良いでしょう。この点に注意するだけでPSS疑いの半数は否定されると思います。続発緑内障は眼圧レベルが高く進行が早いものが多く、早期に適切な治療が行われないと失明に至る場合もあります。薬物治療で眼圧が一時下がったとしても、それで安心してはいけません。その後の所見こそが大事なのです。

 

外来予定表(2003年5月〜)

 

アイセンター・イベント情報
〈EYE CENTER OPEN CONFERENCE〉
場所: 外来棟の10階第2会議室
7月23日 (水)  「網膜浮腫・虚血・血管新生を調節する白血球ー血管内皮細胞相互作用」
PM 6:30〜 石田 晋先生  (慶應義塾大学眼科)

 

編集部より

 私は視神経乳頭の見方については杏林大学赴任後に日常のカンファレンスを通して学びました。論文発表が少ないので広く知られてはいないと思いますが(この点は現スタッフの努力を望みます)、杏林大学の緑内障グループの臨床は、かなりしっかりしたレベルであると思っています。紹介は次号になりますが、本年も5人の新入局員を迎えました。〈 T.H. 〉

<4>